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私の履歴書(第6回)
更新日:2019/02/09
公開日:2019/02/05
今回のブログは、このブログの不連続シリーズ「私の履歴書」の第6回です。
第5回は2016年でしたので、ずいぶんと空いちゃいました(笑)。すいません。
振り返ってみると、2017年より埼玉川口院をオープンさせ、その前年の2016年より準備に忙殺され、2018年は血迷ったかのようにコンテストに向けてトレーニングと減量で頭が一杯でした。
履歴書の原稿を書く際の「記憶を思い出す」作業は、時間と精神に余裕がないと意外とできない作業なのかもしれないです(いいわけ)。
そう考えると、今は少し精神的に余裕ができたのかもしれません(笑)
第5回の履歴書までは、生まれて8歳までアメリカで暮らしていたことを書きました。
昭和57年1月に僕は突然日本に引っ越しました。アメリカで現地の公立の小学校に通っていたので、当然英語のほうが日常的に使っていました。
日本語は週1回土曜日の日本語学校(補習校と呼んでいた)と親との日本語での日常会話で何とか身に付けていましたが、普通の日本人の小学校2年生から見るとかなり変な日本語を使っていたと思います。
当然、日本の小学校の同級生からは「外人、外人」呼ばわりされ、軽いイジメを受けました。
アメリカでの週1の補習校の話に戻りますが、米国の公立小学校は平日しかなく、同級生の友達が土曜日の朝という最も気持ちが解放されている時間に、
自分たちの家族だけがその時間に最も苦痛の勉強(日本語)を家から1時間くらいかけて車で通っていたこの補習校がたまらなく嫌でした。
7,8歳の時の記憶ですが、補習校への行きの車の中の憂鬱な気持ちは今でも思い出すことができます。
補習校は大嫌いでしたが、この補習校での友達(日本人)は今でも繋がっていて、今も友達です。自分の兄弟のように、自分と同じ体験をしてきたからこそ自分のルーツを本当に理解できる大切な友達です。
当時の補習校は、たぶん下記のリンク先です。
http://www.jwsny.org/
日本に引っ越しして、最初に住んだのは兵庫県神戸市(東灘区住吉台)です。
大人になって当時を振り返ると、8歳の少年にいきなり凄まじい環境の変化が起こり、凄まじいストレスを受けたと思うのですが、それを乗り越えられたのは、きっと子供というのは大人に比べるとかなりストレスに強いのでしょう。
正直、最初の1,2年で楽しい思い出はほとんどないのです。。。
(第7回に続く)
元神賢太
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